脳卒中患者の声に耳を傾けること
脳卒中後リハビリは、当事者の声に耳を傾けることが大切です。
そして、専門職として当事者の声を理解し、実践につなげることができれば、信頼につながります。
振り返ると、若手のころは患者さんの言葉を聞いても理解するところまでは至っていなかった気がします。
経験を重ねた現在でも、脳卒中を実際に経験したわけではないので、完全に理解したとは言えません。
声を聞くと「どういうこと?」と、その時すぐにわからないことも多いです。
後々になって「こういうことを言っていたのか!」と理解が深まることも多くあります。
やはりそれは、当事者の声を聞き、理解しようと試行錯誤し、実践の仮説検証を通して学んだことが大きいです。
当事者の声を理解するための考え方
理解するためには、医学用語への変換スキルが必要と考えます。
同じような現象も、表出される言葉は人によって違いがあります。
・「足がちがちに硬くなる」
・「足の内側が浮いて立てない」
このような声を聞いたら、「痙縮(spasticity)」というキーワードを調べてみます。
そこから、実践につながるヒントを探します。
調べる作業を続けていくと、自分の知りたいことのキーワードに気づくことができます。
ただ単に、「話を聞く」ことが目的であればこのような調べる作業は必要ありません。
しかし、専門職として求められるのは実践につなげることです。
当事者の声を医学用語への変換スキルがなければ、調べる作業に移行できないのです。
当事者の声を理解する方法→「本を読む」
当事者の声は、本を読むことで理解を深めることができます。
ここで言う「本」とは、実際に脳損傷者を経験した著者の書籍です。
脳損傷後に生じる変化が当事者の目線で描かれ、主観的な運動感覚、感情、心について記されています。
四時間という短い間に、自分の心が、感覚を通して入ってくるあらゆる刺激を処理する能力を完全に失ってしまうのを見つめていました。
自分のからだがどんな位置関係になっているのか、どこではじまり、どこで終わっているのかがわかりません。これまでの「からだの境界」という感覚がなくて、自分が宇宙の広大さと一体になった気がしていました。
ジル・ボルト・テイラー(著)奇跡の脳
当時、急性期病棟に配属されていた私は、この一文を読んで衝撃を受けました。
ベッド柵を強く掴み、とても怖そうにしている方がいました。
ベッドで寝ている姿勢は安定しているにもかかわらず、「ベッドから落ちそう」と訴えるのです。
「柵を離してください」と声かけしますが一向に離すことはできません。
↓
「麻痺側に落ちそうな感覚を知覚している」(理解)
↓
「非麻痺側の支持面を安定させる」(実践)
結果、ベッド柵を離すことができたことを記憶しています。
そして、自分の声かけは間違っていたことを痛感し、何も考えずに声掛けしていたことに反省しました。
健常な体でも、よほど触ったり動かしてみたり眼差したりしない限り、あるんだなと思うことはないのが自分の身体というものだろう。健常な人間にとってはそんなものはあって当たり前だから考えることもないだろうけど、私達のような脳損傷患者では、以前あったということすら忘れてしまっているのである。…(中略)…やりなれた行為や場面、使い慣れた道具との再会によって、私の左のお尻は実存するものとして、壊れた脳の中によみがえったのである。
山田 規畝子(著)壊れた脳 生存する知
この一文にもハッとさせられました。
運動をするための感覚の影響を考えさせられます。
また、病前生活(仕事、趣味嗜好、性格など)を十分に理解し、個別的なセラピー課題・環境を組み立てていくことの重要性が示されています。
本人のみならず、家族からの声もあわせて聞いていけると良いかと思います。
声を聞くことでみえること
生の声を聞くと否応ない現実に直面します。
「人生真っ暗だ」
「こんな身体になってしまった」
このような声を聞いたこともありました。
涙を流される方もいます。
このような声を聞くと私はいつも奮い立ちます。
自分に何ができるか。
自分は何をすべきか。
小さなプライドは吹っ飛びます。
もちろん、セラピストひとりができることには限界があるかもしれません。
しかし、ひとりのセラピストが勉強して、その方の人生に少しでも希望を見出すことができるなら、迷わず努力すべきです。
患者さんの声は、「もっとよくしたい」という、セラピストの原動力にもなります。
まとめ
患者さんのおかれている状況を理解するために「脳卒中患者の声に耳を傾けること」は、不可欠です。
声にできないこと、していないことまで理解し、実践につなげられるとベストかと思います。
小さなサインを見逃さず、学んでいきましょう。
以上になります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。